ドジっ子Watcher
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 前回の記事のコメント欄においてrag_enさんからコメントを頂いたのでそれに関して考察・反論してみることにする。

ただ、素直にその条項を読む限り、あくまで「引用」についての条項であり、それを根拠に「批判すること」についてどうであるかを論じるというのは、少し無理のある方法だと思いますし、根拠としては弱いです(裁判とかであればそれも有効?なのかもしれないけど)。
 「批判するために引用することができる」ということが書かれていることに異論が無いのであれば、その大前提として「批判することができる」と読めるのは当り前と思うのだが、その解釈に無理があるのだろうか?
 それでも根拠が弱いというのであれば、「表現の自由」「言論の自由」を持ち出すべきだろうか。当然のことながら批判も表現・言論の一種であるから自由に行うことができるのは当然である。日本法のさらに大元である日本国憲法にも明記されている。
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
 その「言論~その他一切の表現の自由」に批判が含まれていないと解釈するのは、さすがに無理と思うのだがどうだろうか。

※2008/06/12追記 考えてみたが、表現の自由等そんなに大上段に構える必要など無かったかも。「(転載を伴わなければ)批判することができる」というのはあまりに当然のことであり、あえて法律で定める必要など無いので書かれていない、ということなのではなかろうか。

そもそも、ルールの根拠にルール(法)を用いる事自体、あまり意味があるとは考えられません。「で、その根拠は?」でループするだけなんで。(というか、その引用ルールもなぁ…うーん)
 「法の根拠」というのは、日本国民によって選ばれた代表者が集まる立法機関である国会で定められたものであって、日本国民であれば当然守らなければならないものである。ということなのでは? というかそれ以上に何かあるのだろうか(日本法の場合)。
 よって、「法の根拠は?」でループすることはあり得ない。証明終。
しかしネットが一般化し、そういう敷居の高さが取り払われ、趣味的なヌルい使い方・楽しみ方ができるようになった今、「批判の対象となる」というルールのシビアさは、その趣味的なヌルい楽しさを殺すことになり(必ずしもそうであるとは限らないが)、それはつまり損失の発生である。よって今現在において既に、それはむやみやたらと適用できる”生きたルール”ではないと考える(それを「カビが生えたルール」と表現した)。多少語弊含みな気はするけど、簡単に言えばこんな感じです。
 なるほど。カビが生えた(=古臭い)ルールというより、インターネットの普及によって公表することに対するハードルが低くなった現状にそぐわないルールというように解釈するとしっくりくるかもしれない。
 しかしながら、私を含め「気軽にブログ等で発言してそれを批判したりされたりできる、そのような現状にこそふさわしいルール」と解釈する人もいるのであり、一概に「現状にそぐわない」と言ってしまうのも問題があるのではなかろうかと思う。
さらに単純な言い方をするならば『あるファンサイトを立ち上げるとき、そのアンチからの批判というリスクを許容しなければならないの?それは良いことなの?』という話です。
 それは批判というより誹謗中傷であることが多いと思うので、だったら名誉毀損なりの問題になるのではないだろうか。よって(違法行為である)誹謗中傷の自由は無い、で終わり。

 さてここで、「ある作品を批判した時、その(狂信的?)ファンからの批判(にもならない悪口)がいくつも書かれた」という例を挙げておこう。前の記事にもコメントをいただいたekkenさんのブログの記事である。ぜひコメント欄まで全部読んでみてほしい。
『名探偵コナン』がしらける理由 - ekken
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