ドジっ子Watcher
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引用する権利はない - 分け入つても分け入つても本の山 コメント欄より
> とりあえず、(殺人のように)違法なことではなく合法なことで「自由はあるが権利は無い」例を示していただけないでしょうか。

なぜ顔も知らぬあなたからいきなりそんな指示をされるのかわかりませんが――。
(あなたはわたしがブログのコメント欄から質問したらなんでも答えてくれますか?)
 そう思うなら答えなければ(無視すれば)いいのに。
 言うまでも無いことだが、コメント欄が開放されている以上第三者が書き込む権利はある(もちろん、荒らしやスパム等は権利の濫用だから許されないこと)けど相手に回答を強制する権利は無いわけで、もちろん私の質問にあなたが回答する義務は無いし私がそれを強制してもいないわけだから。
 もちろん当然のことだが、あなたが私のブログのコメント欄から質問する権利はあるけどそれに私が回答する義務は無いわけで(とはいえ、以前「回答する義務がある」というような主張をした人がいたような)、質問をいただいても答えるかどうかは私の一存ということで。
ひとを愛する自由はあるが、ひとを愛する権利はない。
愛する権利のあると思うひとがストーカーになるわけです。
 誰でも人を愛する「権利」はあると思うが。もちろん「相手に自分を愛することを強制する権利」など無いのは当然で、それがあると思う人がストーカーになるわけだが。

 ……そう書いてみて思った。どうもこの問題、「自由」「権利」という言葉の定義の問題ではなかろうか?

自由 - Wikipedia
自由(じゆう、英: freedom, liberty)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことをいう。
権利 - Wikipedia
権利(けんり)とは、一般に、ある行為をなし、あるいはしないことのできる資格。法律上は、一定の利益を主張又は享受することを法により認められた地位、あるいは、他人に対し一定の行為・不作為を求めることができる地位をいう。
 と並べてみる限り主要な点において違いは無いように思う。例えば「引用する自由がある」ということは、「引用することについて、他のものから拘束(引用を妨げられること)・支配(引用の仕方を限定されること)を受けないで、自己自身の本性に従う(自分の思う通りに引用する)」ということになり、それはすなわち「引用する権利がある」と同義ではないかと思うのだが。

※追記 「自由」の項をさらに読んでみた。
フリーは古英語の frēo に由来し、束縛や拘束がなく義務を免除された状態、すなわち自由の消極的側面 (しなくてよい)が強調される。一方リバティはラテン語の libertas が語源であり、選択や行動・発言の権利が保障された状態、つまり積極的側面(してよろしい)に比重が置かれる。
 「引用する自由」がはたしてフリーかリバティか? というと、引用は積極的に行うものであるからやはりリバティの方であろう。とするなら、「引用する自由がある」とは「引用の権利が保証された状態である」ということになるから、やはり「引用する権利がある」と同義なのではなかろうか。
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テーマ:ことば - ジャンル:学問・文化・芸術

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2012/02/13(月) 14:51:52 | | #[ 編集]
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